2017年11月23日木曜日

通院あれこれ

今日で術後13日目になりました。おかげさまで順調に回復しています。


Vall d'Hebron病院母子棟

今回かかった病院はバルセロナ市内の北の方にある、Vall d'Hebron大学病院です。乳房疾患専門科があると助産師のインマに勧められ、そこに行くことにしました。

救急でかかった翌日に手術が決まり、術後は4日目に受診、膿を排出するために入っていたチューブのドレーンを抜き、その後は、術後7日、11、12、13日と受診が続くことになりました。昨日はエコー検査に行き、今日その結果と共に医師の診察があります。

まだ小さな娘の世話を休むわけにもいかず大変でしたが、そんな中にもうれしい発見もありました。38度の発熱でふらふらで寝込んだ2日間、娘に「熱が出ちゃったの、ごめんね、はやく良くなるからね」と話したら、笑顔で聞いてくれて、ずっとベットで授乳、お散歩に連れ出すこともできず、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、状況を分かったかのごとく、ぐずることなく良く寝てくれたのでとても助かりました。話せば通じるな、と思った経験でした。

そして通院は、片道1時間の道のりもなんとかご機嫌にしていてくれることが多く、助かっています。バスを2本乗り継ぐと、時間はかかりますが、自宅近くから病院の前まで行けます。救急にかかったときと手術当日は、タクシーで20分くらいでした。


バス停もメトロの駅もすぐ目の前、この坂を上った左手が母子棟

バスの中にはベビーカーや車椅子用の場所があり、そこに置いて、シートベルトを着けます。時々乗り合わせた人から「かわいいわね~」「男の子?女の子?何ヶ月?」「お名前は?」など話しかけられ、今日はおじいちゃんおばあちゃん他、周りの人たちに温かく見守られ、特におじいちゃんにたくさん話しかけられた娘でした。同じバス停で降りたその方は別れぎわ娘に「それではルナちゃん、お会いできてうれしかったです。これからも元気に大きくなるんですよ。」といわれました。


病院でも、小さい娘を連れて来ているためか、次の予約の際になるべく待たなくていいように手配してくれたり、処置室で私が最後だからと、そのままゆっくり授乳させてもらえたり、医師の診察中に泣いていた娘を抱っこしててくれたりと、とてもうれしい心遣いをいただきました。授乳に関して若い男性医師よりも詳しいベテラン看護婦さんが、傷口にヨードを使うのはやめて、銀加工のパッチにしましょうと医師に言ってくれたりしたのも助かりました。ヨード剤は赤ちゃんが舐めると甲状腺に高度に溜まるから、これからも使わないように言うのよ、と教えてくれました。

イタリアに住んでいた時にも感じましたが、大ざっぱでいい加減なところが良く出ることがあります。例えば、ガーゼなどがばっと一掴み、そんなになくてもいいのにと思うほどくれたり、銀加工の高価なパッチも惜しみなく多めにくれたりします。このパッチ、診療所の助産師さんが見て「それすごく高いのよね~、さすが違うわね」みたいなことをヒソヒソと話してました。ふむふむ、なるほどと思って聞いていた私。銀は消炎や抗菌作用があり、良いのだそうです。


パッチの袋、スウェーデン製です

みなさんの温かいまなざしや心遣いに感謝です。こちらの病院で感じる、無駄話ゼロで効率重視ではない、好奇心と少しの余裕が好きです。手術日には、救急で一度しか会わないだろう看護師さんが点滴の準備をしながら、私の仕事の話になり、音楽や楽器の話で盛り上がりました。針は一回目失敗で、2度刺されましたけど(笑)




通院が続く今週、先日はサンドイッチを持っていき、晴天でぽかぽかだったので、終わってから外でピクニックしました。

まだ炎症があるようですが、早く治まればいいなと思います。


2017年11月17日金曜日

乳腺炎との闘い

産後2週間で初めて乳腺炎になってから再発して、長い間ずいぶん悩まされました。

1回目は37度台の発熱が1日だけあったものの、助産師インマのアドバイスに従い、マッサージと授乳、キャベツ湿布、プロバイオティクスの服用で、1週間ほどで治りました。

そして治ったと思ったつかの間、また同じ方の違う場所が乳腺炎になってしまいました。しかし一度経験していたので、同じように対処していたのですがなかなか治らず、38度台の熱で2日間寝込んでしまったときにはすでに3週間が経過、相談できる人に話すと、皆、熱がそれより高くなったり長く続いたら抗生物質が必要とのことで、結局、2日で下がったので様子を見ることに。

するとまた一週間ほどで発熱、おっぱいも一向によくならず、おおきなしこりと熱を持ち、赤くなっている。皮膚の感じも良くない。いよいよこのままでは治らないと思い、病院の救急へ。(こちらでは予約なしで急ぎで病院にかかるときは、救急に行きます。そうでないときは、管轄の診療所に予約を入れて行きます)

ちょうどイタリアからお義母さんが来ていたので、娘と3人で救急へ。計6時間の長い滞在でしたが、産科医の診察をうけ、とりあえず切開はせずに抗生物質で治療することになりました。症状が悪化した場合はすぐに救急に戻るようにとの指示でした。

抗生物質を飲み始めてから、さらに痛みと赤みが増し、これはまた救急に行かないとダメかと思った3日目、朝10時ごろになると痛みが引いてきたので、2ヶ月の娘を連れてまた長時間救急に行くのは私にとっても相当なエネルギーを使うため、とりあえず救急行きは取りやめに。その日はすでに診療所で小児科の2ヶ月検診と助産師の予約が入っていたので、そちらに行くことに。

助産師さんに乳腺炎を診てもらい、痛みが引いたのなら、抗生物質が効いてきたのかもしれないからということで、1週間後に再診することに。その前にまた痛くなったらすぐに救急へという指示でした。

そして数日様子を見ていましたが、やはり痛みがひどくなってきたので、少し遠いけれど乳房専門病棟のある病院の救急に行くことに。そこはすごく大きな大学病院なので、救急もいくつかに分かれていて、私は産科がある救急に入り、待ち時間も少なく、2時間以内で全て終わりました。産科医による触診とエコー診察で、中に膿が溜まっているため、それを出すための切開手術が翌朝8時に予定され、その日の0時から絶食で翌日病院に戻ることになりました。

翌朝8時に到着、受付を済ませて病院服に着替えてベットへ。点滴など準備して、医師らから手術や麻酔の説明を受けて同意書にサイン、授乳もできるうちに済ませて、10時ごろ手術の順番が来ました。付き添われて徒歩で手術室まで行くと、中で看護師さんたちが準備をしていました。椅子に座って待つように言われ、寒すぎて歯がガチガチしたので、温かい空気の出る暖房機と私をシーツで包んでくれました。看護師さんたちも「どうしてここはこんなに寒いのかしら」とか言いながら。。手術台は結構古いタイプで「どうやって高さ調節するのかしら、上がらないわ」など言っている(笑)

全身麻酔で、呼吸がしやすいように喉にチューブを入れるといわれ、やはり緊張していた私も、こんな和やかに進む準備を見て少し笑えました。台に上るように言われ、両手を広げて、執刀医らしい男性の先生に笑顔で子供がいつ生まれたのか聞かれ、肩をポンポンされておめでとうと言われました。酸素マスクを持ってる看護師さんに、ゆっくり呼吸をするように言われたのが最後の記憶で、ちょうど1時間後の11時ごろ、待機していたのと同じ場所に戻って目が覚めました。

手術室に行くときは、娘と離れるのが辛く、一瞬涙ぐみましたが、1時間で戻ってこられてホッとしました。まだ麻酔で眠く、うつらうつら休みました。術後最初の母乳は捨てるようにということで、左右の搾乳をして、術後も安定していたので14時ごろ帰宅許可がでて、タクシーで帰りました。

いやはや、手術前に最高に痛かったときは寝られないほどで、歩いても響き、ゆっくりしか歩けず、早く痛みの無い体に戻りたい、元気になりたいと思いました。幸い術後は順調で、4日後の受診で中に入ってたドレーンを抜き(20センチほどもあってびっくり仰天!)、違う抗生物質を処方され、3日後に再診になりました。

これから娘と二人、バスを乗り継いで小一時間、行ってまいります。
どうか、このまま良くなって治ってくれますように。。。娘のためにも早く元気にならなくては!


2017年10月21日土曜日

Considering Matthew Shepardを聴いて



今日は朝10時から、カタルーニャ音楽堂にてCraig Hella Johnson作曲、Considering Matthew Shepard(1962)のゲネプロを聴いてきました。

本番はちょうど今(夜8時半)始まったところで、夫が合唱で出ています。Simon Halsey指揮で200人以上の合唱を伴い、ヨーロッパ初演ということです。


ストーリーは、アメリカで1998年10月12日、ホモセクシャルという理由で同年代の数名から残酷ないじめを受けて、22歳の若さで亡くなった大学生Matthew Shepardの実話にもとづいています。


1時間半を超える大作を休憩なしで、大合唱と数名のソリスト歌手、ジャズシンガー、ポップシンガー、器楽アンサンブルと共に残酷なストーリーが語られ、希望の歌で終わる、壮大な作品でした。


音楽のほか、ミニアチュアアーティストやヴィジュアルアーティストが加わり、とても効果的で素晴らしい舞台でした。ゲネプロ前のリハーサルでは、舞台監督、照明、マイクやビデオ担当などが忙しそうに走り回り、音楽が進む中マイクがタイミング良く入らなかったり、バランス調整など、それぞれがベストを尽くして懸命に作品を作っているのを身近に感じました。


終わり近く、感極まってボロボロ泣いた直後に、娘が起きて声を出しそうになったので、一瞬小走りでドアの外に出ましたが、それ以外はずっとおとなしく、しゃっくり以外に音を発することがなかったので、10時のリハーサルから休憩を挟んで14時にゲネプロが終わるまで、私はすごい集中力で作品に引き込まれっぱなしの至福の4時間でした。


昨日から頭痛がして、今朝もまだいまいちだったので諦めようと思ったのですが、行ってみて本当によかったです。会場を出るときにはすっかり頭痛も治っていました。


素敵なプレゼントをありがとう。そしてまた明日から頑張ります。娘は最近笑うようになりました。誰もが心地よく生きられる社会でありますように。



2017年10月9日月曜日

2ヶ月半ぶりの生演奏

昨日はこちらに来ている両親と、楽器博物館であったピアノの演奏会に、ダメもとで娘も連れて行ってみました。

始まるギリギリまで入り口の外で授乳してから中に入り、一番後ろで一番出口に近く、客席ではないところに座りました。始まる前にまた授乳を開始、大丈夫そうだったのでそのままそうっと居座り。。。その後寝たのでいつ起きるかはらはらしながら。。。

はらはらして心臓に悪かったですが、1時間のプログラムの最後の曲までいられて、終わる直前で起きそうになったので一瞬離れましたが、ピアノなので遠くからでも聞こえて、アンコールも聴けました。

久しぶりの生演奏は心に沁み、演奏が始まった瞬間うるっとしました。
だんだん音楽が恋しくなっていたので、うれしいリフレッシュになりました。先週は学校で古楽のボーカルアンサンブルの演奏会があったので、約3ヶ月ぶりに学校へ。学生や教授ら、学長にも会うことができ、ドアからかすかに漏れる美しいハーモニーにうっとりしながら、贅沢な授乳の時間でした。

育児の日々はモノトーンに思えて辛くなることもありますが、時間は戻すことができない、生まれたばかりのころの娘はもう見ることができないと思うと、「今」を大切に一日一日を重ねていきたいと思います。


2017年10月6日金曜日

娘1ヶ月になりました

驚くほどあっという間に1ヶ月が過ぎました。
先日1ヶ月検診に行き、体重の増え具合を1週間後に再確認することになり、今日ドキドキしながら確認に行ってきたところ、順調に増えていたので安心しました。

備忘録を兼ねて、1ヶ月の記録を残しておきます。

入院は3泊4日で、帝王切開の翌日にはシャワー許可がおり、ガーゼなどシャワーをしながら全部取っていいと言われ、おそるおそる取りました。日本にくらべてあっけなく生後3日で退院。その間、聴覚検査や小児科医の診察、授乳指導などがありました。退院時には看護師さんがこれから気をつけることなどを教えてくれました。食事はいたってシンプルでしたが、スタッフは皆とても親切で明るく、とてもよくしていただきました。医師も看護師も大半が女性で、若い人が多いのが印象的でした。お世話になった執刀医、麻酔科医2人、診察に来た産婦人科医2人も皆女性でした。小児科医の2人のうち1人が、唯一の男性でした。

退院の翌日には初めてのお散歩。こちらでは退院後、母親が外に出たいと思えば、いつでもOKということです。ゆっくり歩いて30分ほどでしたが、すごくいい気分転換になりました。きれいな月が出ていました。ちなみに娘の名前はイタリア語とスペイン語では月という意味です。




生後10日からはポブレノウの祭りが始まりました。
2回の週末に計5夜、23時から3時までの野外コンサートが家の真下であったので、その5日間は、友人宅に泊まらせてもらいました。お世話になり感謝です。救われました。



瑠奈にとって初めてのポブレノウ祭り。窓から伝統的な光景が楽しめました。
来年はここから3キロほどの、バルセロナの郊外に引っ越すので、家からこうしてお祭りが見られるのもこれが最後と思うと少し寂しくなりました。

最終日の夜は22時から最寄のビーチで花火があり、その日は育児でストレスぎみだったのですが、見に行こうと誘ってくれた旦那に従って外に出て正解でした。やっぱり気分転換ってすごく大事ですね。今年初めての花火は3人で。とてもきれいでした。





2017年9月18日月曜日

元気に生まれてくれました

去る8月29日、午後0時55分、長女瑠奈が元気な産声をあげました。


出産は予想とはかなり違う展開となりましたが、無事に生まれてきてくれたのが何よりです。出産の4日前から2日間、10分間隔の陣痛と過ごし、その後2晩、自宅出産を試みましたが、2~3分おきの本格的な陣痛になってからも、しばらく来なくなったり、間隔が10分になったりと気まぐれな陣痛で、なかなかお産が進まず、2日目の晩には陣痛後に胎児の心拍が時々落ちるようになったこともあり、夜中の3時、病院に行くことにしました。

緊急事態ではなかったので、シャワーをしてから着替えて、準備してあった荷物を持ち、インマの車で移動。彼女が自ら運転し、信号待ちでは助手席の私のお腹に機械を当てて、胎児の心拍を確認しながら、約20分で到着。

モニター検査ののち、個室の分娩室に移動しました。

Hospital Clinic Maternitat

出産が進むように、人工的に破水して1時間半ほど様子を見る。陣痛は2~3分間隔に来てるのに子宮口の開きは変化なしで、陣痛促進剤を投与。その後は2分おきに強い陣痛が来て、ついに自分の限界を感じ、麻酔を希望して無痛にしてもらう。4夜連続で寝ていない状態に加え、長いお産で体力も気力も消耗、これ以上陣痛に耐えられるとは思えませんでした。

下半身の麻酔を打つ時は、絶対に動いてはならず、陣痛が来ても静かに耐えるしかなく、その時はやはり相当心細く、インマがいてくれてよかったと心から思いました。麻酔がすぐに効いてきて、4日ぶりに陣痛から開放され眠りました。2時間後のチェックでは、子宮口はほぼ変化がなく、もう少し待って再度確認する際に、どうするか決めましょうということに。さらに1時間半後に2人の産婦人科医と助産師1人が確認するもあまり変化がなく、これ以上待っても変化は期待できないだろう、さらに私の発熱もあり、私が同意した上で帝王切開に決まりました。緊急帝王切開ではないから、ゆっくり準備しましょうと言われ、落ち着いた雰囲気の中、手術室まで運ばれました。

手術には夫も立会うことができ、娘は生まれた直後に一瞬、体を乾かすために私から離れましたが夫が一緒に行きすぐに抱っこ、そして数分後には私の胸の上で、手術が終わるまで抱っこしていました。手術中は不安でしたが、元気な産声を聞いて安心、感動しました。

生後2週間で生まれたときの体重に戻り、順調に大きくなっています。
これからも娘共々よろしくお願いします。


2017年8月23日水曜日

助産師のインマ

本人に快諾をもらったので、今回の自宅出産をお願いした助産師さんインマについて書きたいと思います。

インマはバルセロナ出身で2児の母、2人とも自宅で産んでいます。イギリスで助産師の勉強をし、その後イギリスの病院で働き約300のお産に立会い、現在はバルセロナでフリーの助産師として自宅出産に立ち会っています。バルセロナとその近郊ではこれまでに約200のお産に立ち会ったそうです。

初めて夫と一緒に彼女に会いに行ったとき、2時間みっちりいろいろ話したあと、「助産師選びはあの人が良いって言ってたからとか頭で考えるんじゃなくて、心に聞いてこれって思える人を。今日家に帰ってからゆっくり決めてもらえばいいから」といわれたのが印象的でした。帰宅後、夫も私も彼女にお願いしたいと思いました。

インマのことは、診療所や病院に勤める助産師さんの間でも知っている人が多く、「インマとなら安心ね」と太鼓判を押されました(笑)診療所の出産準備クラスを担当していた助産師さんは、彼女の講習を受けたことがあると話してくれました。

自宅出産を手がける他の助産師さんから、チームを組んで一緒に働かないかと言われることがあるそうですが、彼女自身が出産したときに、2人以上の助産師ではなく、1人に付き添ってもらいたいと思ったことが、一人で働いている理由だそうです。もちろん、人によって2-3人に付き添ってもらうほうが安心の人もいるでしょうし、1人のほうが親密感があって落ち着くという人もいるでしょう。

彼女の仕事がすごいなーと思うのは、まずお産はいつになるか分からないというところ。私など自分ひとりのお産だけでも、いつになるか分からずソワソワ落ち着かないのに、それが仕事だったらと思うと、よほどどっしり構えてないと出来ないだろうなぁと思います。確かに契約書には、お産が2件同じ日に重なってしまったり何らかの状況でどうしても立会えないときには、他の助産師を手配すると書いてありました。お互いに、そのように助け合っている助産師さんがいるようです。

これまでの彼女とのセッションでは、予定していた当日の朝5時台に、今出産に立会っているから違う日に会いましょう、とメッセージが入ったことが2回ありました。病院のように時間で交代もないし、日にちも時間も決まっていない。それぞれの赤ちゃんが「今」と決めたときが彼女の仕事時間。なんでも手帳に予定を入れて、予定通りに物事をこなしていくことに慣れた私たちにはちょっと想像がつかない壮大な仕事だなぁと思いました。

今彼女は夏季のため、車で1時間半ほどのピレネーの山の方にいて、必要なときだけバルセロナに来るのですが、面白いなぁと思ったのは、いつバルセロナにいるよと連絡をくれるのです。彼女の経験によると、そう伝えておくと安心するのか、偶然その日に出産になったりすることがあるらしいのです。

先週、バルセロナでテロのあった日は、バルセロナへの交通アクセスが遮断されたため、「今日はバルセロナに行けないから、お願い、出産しないでね~」とメッセージがありました。その数日後には、「今ひとつお産が終わったところで、長~い時間寝ていないので、今夜はゆっくり寝られたらうれしいです。トモコの赤ちゃん寝させてくれるかな。そうしたらまた元気に立会えます。8月に出産予定の人はあとトモコだけになったのでいつでも。」とメッセージがありました。

私はそんなメッセージを受け取ると、お腹の赤ちゃんに説明して、今日はまだゆっくりしててね~とか、今日はインマが寝られるように、私たちもゆっくり寝ようね~など、話しかけました。

これまでのセッションでは、妊娠中やお産中に起こりうる危険を含めた全てを、インマと夫と3人で細かく確認し、緊急時の対応などもしっかり復習して準備できました。

女性としてもプロフェッショナルとしても、とても尊敬し信頼できる彼女とのお産が楽しみです。

2017年8月22日火曜日

バルセロナの医療システムと妊娠・出産

バルセロナの医療システム、なかなか優れているのでご紹介します。

私たちは特にプライベートの保険には入っていないので、国の社会保険に入り、お給料から保険料が引かれる仕組みです。それによって医療費は全て無料、薬代だけ払いますが、処方箋があると格安になります。

市内の地区ごとに管轄の総合病院があり、その他、住民一人ひとりに割り振られた診療所がたくさん存在します。自分の住む地区により、かかる病院と診療所が決まっています。診療所とはいえ、診療科が何十もあるような総合診療所です。

病院と診療所の役割もはっきり分かれていて、一般診療は診療所の家庭医のところへ行きます。家庭医は担当が決まっているので、いつも同じ先生に診てもらうことになります。そして必要に応じて、家庭医が病院での検査やその他を手配します。家庭医の診療は予約をする必要がありますが、大体2日から長くても5日先くらいで取れ、オンラインで簡単にでき、キャンセルも簡単なので、私は、診てもらった方がいいかなぁと思うような時にはすぐに予約を取って、その後必要がなくなったらキャンセルしています。救急の場合は病院へ。

さて、妊婦検診について。

妊婦手帳
まず妊娠がわかったら診療所に行き、助産師の予約を取ります。基本、月に一度診療所の助産師の検診があり(うち一度は産婦人科医による検診)、その他、血液検査・尿検査(初期、中期、後期の計3回)、ブドウ糖負荷試験、GBS(B群溶血性レンサ球菌)検査など。病院では初期12週、中期20週(胎児スクリーニング)、後期33週の計3回のエコーがあります。日本に比べてエコーの回数は格段に少ないですが、必要最低限で無駄がなくて良いと思います。いつでも問題があれば病院の救急に行くよう指導されているので、心配もありません。

これらの検査結果はすべて診療所と病院間で共有されています。患者番号(カード)も共通なので、カルテも共有されています。住民一人ひとりをカバーする地域医療がしっかり成り立っていて、素晴らしいと思います。エコーの結果はその場で封筒に入った手紙を渡されます。これらは妊婦手帳と一緒に全て一つのファイルに入れて、いつ急に病院に行ってもいいようにまとめてあります。

出産する病院は、基本、地域の管轄の病院になります。違う病院を希望することもできます。その場合は、それまでの検査やエコーの結果などを自分で持っていけばいいです。私は自宅出産を選びましたが、すべての検査はそのまま最後まで診療所と病院で行いました。診療費、検査料、出産、手術をしても、払っている保険料でまかなわれるので全て無料です。その代わり?出産の入院期間は短く、産後48時間で退院(希望して問題なしなら24時間後も最近可能になったそう)、帝王切開でも4日目に退院だったと思います。

私はこの社会保険でとても満足していますが、それとは別に、プライベートの保険に入って、プライベートの病院にかかっている人もいます。以上、国の社会保険の医療システムについてでした。