2017年11月17日金曜日

乳腺炎との闘い

産後2週間で初めて乳腺炎になってから再発して、長い間ずいぶん悩まされました。

1回目は37度台の発熱が1日だけあったものの、助産師インマのアドバイスに従い、マッサージと授乳、キャベツ湿布、プロバイオティクスの服用で、1週間ほどで治りました。

そして治ったと思ったつかの間、また同じ方の違う場所が乳腺炎になってしまいました。しかし一度経験していたので、同じように対処していたのですがなかなか治らず、38度台の熱で2日間寝込んでしまったときにはすでに3週間が経過、相談できる人に話すと、皆、熱がそれより高くなったり長く続いたら抗生物質が必要とのことで、結局、2日で下がったので様子を見ることに。

するとまた一週間ほどで発熱、おっぱいも一向によくならず、おおきなしこりと熱を持ち、赤くなっている。皮膚の感じも良くない。いよいよこのままでは治らないと思い、病院の救急へ。(こちらでは予約なしで急ぎで病院にかかるときは、救急に行きます。そうでないときは、管轄の診療所に予約を入れて行きます)

ちょうどイタリアからお義母さんが来ていたので、娘と3人で救急へ。計6時間の長い滞在でしたが、産科医の診察をうけ、とりあえず切開はせずに抗生物質で治療することになりました。症状が悪化した場合はすぐに救急に戻るようにとの指示でした。

抗生物質を飲み始めてから、さらに痛みと赤みが増し、これはまた救急に行かないとダメかと思った3日目、朝10時ごろになると痛みが引いてきたので、2ヶ月の娘を連れてまた長時間救急に行くのは私にとっても相当なエネルギーを使うため、とりあえず救急行きは取りやめに。その日はすでに診療所で小児科の2ヶ月検診と助産師の予約が入っていたので、そちらに行くことに。

助産師さんに乳腺炎を診てもらい、痛みが引いたのなら、抗生物質が効いてきたのかもしれないからということで、1週間後に再診することに。その前にまた痛くなったらすぐに救急へという指示でした。

そして数日様子を見ていましたが、やはり痛みがひどくなってきたので、少し遠いけれど乳房専門病棟のある病院の救急に行くことに。そこはすごく大きな大学病院なので、救急もいくつかに分かれていて、私は産科がある救急に入り、待ち時間も少なく、2時間以内で全て終わりました。産科医による触診とエコー診察で、中に膿が溜まっているため、それを出すための切開手術が翌朝8時に予定され、その日の0時から絶食で翌日病院に戻ることになりました。

翌朝8時に到着、受付を済ませて病院服に着替えてベットへ。点滴など準備して、医師らから手術や麻酔の説明を受けて同意書にサイン、授乳もできるうちに済ませて、10時ごろ手術の順番が来ました。付き添われて徒歩で手術室まで行くと、中で看護師さんたちが準備をしていました。椅子に座って待つように言われ、寒すぎて歯がガチガチしたので、温かい空気の出る暖房機と私をシーツで包んでくれました。看護師さんたちも「どうしてここはこんなに寒いのかしら」とか言いながら。。手術台は結構古いタイプで「どうやって高さ調節するのかしら、上がらないわ」など言っている(笑)

全身麻酔で、呼吸がしやすいように喉にチューブを入れるといわれ、やはり緊張していた私も、こんな和やかに進む準備を見て少し笑えました。台に上るように言われ、両手を広げて、執刀医らしい男性の先生に笑顔で子供がいつ生まれたのか聞かれ、肩をポンポンされておめでとうと言われました。酸素マスクを持ってる看護師さんに、ゆっくり呼吸をするように言われたのが最後の記憶で、ちょうど1時間後の11時ごろ、待機していたのと同じ場所に戻って目が覚めました。

手術室に行くときは、娘と離れるのが辛く、一瞬涙ぐみましたが、1時間で戻ってこられてホッとしました。まだ麻酔で眠く、うつらうつら休みました。術後最初の母乳は捨てるようにということで、左右の搾乳をして、術後も安定していたので14時ごろ帰宅許可がでて、タクシーで帰りました。

いやはや、手術前に最高に痛かったときは寝られないほどで、歩いても響き、ゆっくりしか歩けず、早く痛みの無い体に戻りたい、元気になりたいと思いました。幸い術後は順調で、4日後の受診で中に入ってたドレーンを抜き(20センチほどもあってびっくり仰天!)、違う抗生物質を処方され、3日後に再診になりました。

これから娘と二人、バスを乗り継いで小一時間、行ってまいります。
どうか、このまま良くなって治ってくれますように。。。娘のためにも早く元気にならなくては!


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